本日も早朝の農作業~感動の長岡大花火まで充実した一日でした!(#^.^#)
2023.8.2.
本日も早朝の農作業~感動の長岡大花火まで充実した一日でした!(#^.^#)
今日は早朝の涼しい内に我が家の庭の雑草取り&水くれ作業後に畑に行くと…
今年98歳になられる義理のお母様とお姉様が既に一生懸命に草取り作業を…
昨日、イチジクの木が虫にやられてしまい、傷んでる枝を思い切って切断し…その後、消毒作業!
開口一番、「イチジクの処理、助かったて!」とお礼を言われ、「兄さん、キュウイフルーツの伸びてる
枝を切って貰えると助かるて!」
お母様が孫や曾孫達に食べさせようと毎年、一生懸命に育てておられるスイカやキュウイフルーツも順調
に育っているようです!(#^.^#)
畑で陣頭指揮されるお母様の姿はとっても素敵です!(#^.^#)
連日の猛暑!…今日のランチは三宝さんのニラレバ!(#^.^#)時々、無性に食べたくなるんです!(笑)
8月は県内外で花火大会が開催されます!…最近は主な花火大会はテレビ等で生中継され…
今日は長岡大花火大会の実況も…
父が長岡出身で自分が幼少時は何時も父の実家にお泊りさせて頂き、提灯を持って花火を見に行ったもの
です!…長岡空襲の話も必ず話に出て、子供ながらに戦争の恐ろしさや怖さを…
当時は、三尺玉とナイヤガラがメインだったように記憶してます!
今月5日には、地元三条の花火大会が開催されます!
目の前で上がるスターマインや花火、現役時代は協賛社さんも全部わかったのですが、最近は知らない
企業さんも…新たに躍進してる企業さんや社名変更されてる企業様も!時代の流れを感じますね!
『長岡花火』…慰霊・復興・平和への祈り
昭和20年8月1日。
その夜、長岡にB29大型爆撃機が来襲し、市街地を爆撃。
924.3トン、16万3,456発の焼夷弾が大量投下されました。
長岡はその8割が焼け野原と化し、1,488名の尊い命が失われました。
その惨状に人々は悲しみと怒りに打ち震えるばかりでしたが、その絶望の中
空襲から1年後の昭和21年8月1日に「長岡復興祭」が行われました。
人々は傷ついた心を慰められ、励まされ、不撓不屈の精神で復興に臨みました。
昭和22年から長岡花火が打ち上げられ、慰霊・復興・平和への祈りを込めて
現在に至るまで長岡まつり大花火大会が開催されています。…令和2~3年はコロナ禍で中止
平成16年10月23日、平成19年7月16日には、二度に渡り直下型地震が
中越地域を襲いました。しかし、私たちは、長岡花火の思いを胸に
幾度となく復興に取り組み、今日という日を迎える事が出来ています。
今後もその想いを絶やさぬように、長岡花火は夜空を彩り
私たちの心に響き、今も語りかけてくるのです。
「長岡の花火は、涙がこみあげてくる花火なんです。」
多くの方が長岡まつり大花火大会を観覧して、こう話します。
それは、花火の壮大さや美しさに対する感動であることはもちろんですが、
長岡の花火は、お祭りの催し物ではない「想い」がこめられた花火だからです。
その「想い」が花火となって私たちの心に響き、心を揺さぶるのです。
本日も早朝の農作業~感動の長岡大花火まで充実した一日でした!(#^.^#)
今日は早朝の涼しい内に我が家の庭の雑草取り&水くれ作業後に畑に行くと…
今年98歳になられる義理のお母様とお姉様が既に一生懸命に草取り作業を…
昨日、イチジクの木が虫にやられてしまい、傷んでる枝を思い切って切断し…その後、消毒作業!
開口一番、「イチジクの処理、助かったて!」とお礼を言われ、「兄さん、キュウイフルーツの伸びてる
枝を切って貰えると助かるて!」
お母様が孫や曾孫達に食べさせようと毎年、一生懸命に育てておられるスイカやキュウイフルーツも順調
に育っているようです!(#^.^#)
畑で陣頭指揮されるお母様の姿はとっても素敵です!(#^.^#)
連日の猛暑!…今日のランチは三宝さんのニラレバ!(#^.^#)時々、無性に食べたくなるんです!(笑)
8月は県内外で花火大会が開催されます!…最近は主な花火大会はテレビ等で生中継され…
今日は長岡大花火大会の実況も…
父が長岡出身で自分が幼少時は何時も父の実家にお泊りさせて頂き、提灯を持って花火を見に行ったもの
です!…長岡空襲の話も必ず話に出て、子供ながらに戦争の恐ろしさや怖さを…
当時は、三尺玉とナイヤガラがメインだったように記憶してます!
今月5日には、地元三条の花火大会が開催されます!
目の前で上がるスターマインや花火、現役時代は協賛社さんも全部わかったのですが、最近は知らない
企業さんも…新たに躍進してる企業さんや社名変更されてる企業様も!時代の流れを感じますね!
『長岡花火』…慰霊・復興・平和への祈り
昭和20年8月1日。
その夜、長岡にB29大型爆撃機が来襲し、市街地を爆撃。
924.3トン、16万3,456発の焼夷弾が大量投下されました。
長岡はその8割が焼け野原と化し、1,488名の尊い命が失われました。
その惨状に人々は悲しみと怒りに打ち震えるばかりでしたが、その絶望の中
空襲から1年後の昭和21年8月1日に「長岡復興祭」が行われました。
人々は傷ついた心を慰められ、励まされ、不撓不屈の精神で復興に臨みました。
昭和22年から長岡花火が打ち上げられ、慰霊・復興・平和への祈りを込めて
現在に至るまで長岡まつり大花火大会が開催されています。…令和2~3年はコロナ禍で中止
平成16年10月23日、平成19年7月16日には、二度に渡り直下型地震が
中越地域を襲いました。しかし、私たちは、長岡花火の思いを胸に
幾度となく復興に取り組み、今日という日を迎える事が出来ています。
今後もその想いを絶やさぬように、長岡花火は夜空を彩り
私たちの心に響き、今も語りかけてくるのです。
「長岡の花火は、涙がこみあげてくる花火なんです。」
多くの方が長岡まつり大花火大会を観覧して、こう話します。
それは、花火の壮大さや美しさに対する感動であることはもちろんですが、
長岡の花火は、お祭りの催し物ではない「想い」がこめられた花火だからです。
その「想い」が花火となって私たちの心に響き、心を揺さぶるのです。